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『経済倫理 = あなたは、なに主義?』刊行ごあいさつ

橋本努

 

 

謹啓

 

 毎日蒸せるような、本格的な、猛暑の季節となりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。暑中お見舞い、申し上げます。また平素は、格別のご高配を賜り、心より厚くお礼申し上げます。

 さて、北京オリンピックの開催というこの忙しいときに、拙著『経済倫理 = あなたは、なに主義?』(講談社メチエ、2008年8月10日刊)を刊行する運びとなりました。どうかお手隙のときにでも、御笑覧くださいますよう、お願い申し上げます。と同時に、皆様のご高配を乞う次第であります。

 本書は、あまり類書のないものかもしれません。執筆するに至った経緯(いきさつ)について、少し述べさせてください。

もともと小生の関心として、「経済現象を哲学する」というモチーフがありました。自分としては、いまでもオリジナルな哲学を志すということに力んでいて、なかなか十分な成果が出せない状況が続いているわけですが、そんな折、哲学を専門とする研究者たちが共同で訳した、「経済倫理」に関する翻訳本が手元に送られてきました。

なんでもいまや、哲学を研究している方々は、純粋な哲学探求に従事しているだけでは大学のポストを維持することができず、例えば医療倫理や技術者の倫理、あるいは経済倫理やビジネス倫理といった、社会のためになる応用倫理の分野へ進出しなければ生き残ることができない、というのです。いわば哲学者たちの生存という関心から、応用倫理が隆盛しているようです。

 先の経済倫理の翻訳本には、ミルトン・フリードマンの論文も収録されていました。この翻訳本に接して、私は大いに自身の研究を反省するところがあり、本来探求すべきテーマに呼び戻されたような気がします。

 ビジネスの領域においても、最近、経済倫理に関心が集まっています。ところが経済倫理を専門とする人は、まだわずかで、周辺分野の研究者たちがようやく身を乗り出しているような状況です。この分野には、探求すべき豊饒なフロンティアがあるようにみえます。そこで小生も自分なりの仕方で、理論の枠組みを構築した次第です。(とくに第一章と第三章の分類枠組みです。)

歴史を振り返ってみますと、戦後日本の思想状況は、圧倒的にマルクス主義の影響下におかれていました。イデオロギーの問題は、経済の下部構造と密接不可分でした。ところが最近の思想状況は、経済学から切り離されたところで回っているようにみえます。なぜでしょうか。これにはいろんな事情があるのでしょう。語り出すときりがありませんが、そうこうしているうちに現代人は、これまでのイデオロギー図式では捉えられない意識をもちはじめています。経済格差や貧困も、ますます問題になっている。また、実際の経済政策や政治政策をめぐって、理性的な討議が活性化しないまま、感情的ないし実務的な要請のみで法案が可決されていく、ということが起きています。こうしたいわば、民主主義制度の劣化に対応すべく、いま、改めて経済思想の論議が求められているのではないかと思います。

 そこで本書を、というわけなのですが、本書の基本的なアイディアは、とても単純にできています。四つの二者択一問題があって、これに答えてみると、組み合わせは全部で一六通りあって、それらはすべてイデオロギーの類型となる。読者は、どの類型に分類されるでしょう? 簡単なアンケートに答えるだけで、イデオロギーの問題に巻き込まれていきます。しかも、読者は自分の立場を擁護するために、いろいろな議論に頭を絞ることになるでしょう。さらに、他の章のいろいろなアンケートに答えていくと、はたして自分の立場が一貫しているのかどうかが見えてきます。自分のイデオロギー傾向を、実感できるようになっています。

 もともと本書は、新書を意図して書き始めたものでした。当初予定されていたタイトルは、「あなたはなに主義?」。ただこのタイトルはさすがに恥ずかしいと思い、「経済倫理」を頭に持ってきた次第です。むろん実際には、経済問題に関心のない方にも、いやそのような読者にこそ、「あなたはなに主義?」と尋ねてみたいのですが。

あなたの無意識の思想を診断したい、という私の欲望は、もしかすると、思想科のお医者さん、ということでしょうか。いやそうではなくて、小生の狙いは云々、ということを本書で書いております。本書は、現代思想のメタ理論です。現代のイデオロギー状況、あるいは本当の思想地図(?)を知るために、本書が叩き台となれば幸いです。契丹のないご批判を、お待ち申し上げる次第です。

 最後になりましたが、皆様のご健康を、心よりお祈り申し上げます。

 

謹白

2008年8月

橋本努